これはアントニオーニが下北でスープカレーを食べ、ロメールが新宿の純喫茶でブレンドをすすりながら詠んだような映画だ。もちろんほめ言葉です。
「ちゃんと好き」って、どういうことか、わたしも知りたいと思ったんだけれど、映画を観たらもっとわからなくなった。でも、恋愛に迷って、ひねくれて、嫉妬して、つまらない見栄を張って、自己嫌悪に陥って、うじうじぐねぐねして、自分でも面倒くさくなるくらい人のことを好きになってしまうことって、ほんとうに面白いなと、『サッドティー』のひとたちを見ていて思う。上手くいかない恋愛を「まぁいっかー」なんて受け入れながら、願わくば、限りなく面白く生きたい。
女性が男性の前で、嘘をついたり、騙されたり、許したり、精一杯の愛情で返答している姿を見て、将来やっぱり男性より先に死ねないと思いました。みんな恋愛を求めて、恋愛に悩んで迷って、それぞれ一番綺麗なお顔があって。誰もキスをしないから、それが体が触れ合う瞬間に見えるのではなくて、翻弄されてるときが一番綺麗だなあと思いました。ちゃんと好きってどういうことかわからないけど、ちゃんと好きって、嬉しいな。
好きの形や重みは人それぞれだということを『サッドティー』から教えてもらいました。不器用でやるせない登場人物達に蹴りを入れたくなるし、愛くるしくもなる。そんなもどかしい自分を発見できた作品です。恋愛してる人、恋愛したい人、恋愛したくない人、恋愛が分からない人、こそ観るべし恋愛映画。
小津作品『お茶漬の味』から遥か遠く……。
今泉が描く“リア充文化系”の業の輪舞は、
悲しみという嗜好品を呑みながら本日も回り続けます。